生まれました。

 

 

ブログに書くようなことではないけれど、自分の中での区切りとして(というかツイートしようと思ったけど文字数足りなかっただけ)。

 

 

ここ数日ずっと考えていたのですが、ようやく覚悟を決めたので宣言します。

 

 

あの日から裕翔くんに対する好きがとどまるところをしらず、スンってなるどころか一向に収束せず、来る日も来る日も裕翔くんのことを考えていて、抱えきれないくらい膨れ上がって、ついに、裕翔くんの担当を名乗りたい、と思ってしまった。

 

こんな(裕翔くん及びじゃんぷに関して)ぺーぺーの私が裕翔くんの担当を名乗るなんておこがましい、担当なんて名乗れない、とずっと思っていたし、担当を名乗らなくても錦戸担の裕翔くんファンとして好きでいればいい、と思っていた。だけど、裕翔くんのことを好きになればなるほどに、錦戸担として裕翔くんを好きでいることがだんだん息苦しくなってきて。

 

 

あーーーーもう!裕翔くんを自担と呼びたい!裕翔くんの担当になりたい!裕翔くんのことを胸を張って好きだと言いたい!と思ってしまった。

 

 

本気の掛け持ちは初めてだからどうなるかわからない。どちらが好きとかどちらを選ぶとかそんな単純な話じゃなくて。錦戸さんに対する好きと裕翔くんに対する好きはなんというか好きの種類が違って、心の動く部分が違って、だからこそ、錦戸さんを好きな気持ちも裕翔くんを好きな気持ちも一生懸命大切にしたいと思った。ずるいと思われるかもしれないけれど、自分の気持ちに正直でいたいと思った。大袈裟だと笑われるかもしれないけれど、私にとっては本当に一大事だったので、ここ数日まじで本当に真剣に悩みました。自分の気持ちと真剣に向き合いました。そしてようやく覚悟を決めました。

 

 

 

私は今日から中島裕翔くんの担当になります。

 

 

 

だから、2016年11月9日が裕翔担の私の誕生日。

 

 

 

はっぴーばーすでい裕翔担のわたし!!!!!

 

 

 

 

この大きな扉を今開けたなら

どんな明日が僕らを待つのだろう

強くなれる そう思うんだ

君とならば

 

 

 

たくさんの笑顔を、たくさんの景色を、たくさんの夢を、見られたらいいな。

裕翔くん、これからよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

※書き方ややこしいけど担降りではありません。錦戸担も継続です。要するに掛け持ちってことです。それなりの覚悟をして決めたことなので、気に食わなければ切っていただいて構いません。掛け持ちでもいいよって方はこれからも仲良くして下さると嬉しいです!

 

中島裕翔くんのお話

 

こんなことになっている未来を誰が想像しただろうか?

 

 

5ヶ月前ここで、"担当という概念について考えてみた"というブログをエントリーしたのは自分の中でもまだ記憶に新しい。そのブログの中で私は、自担である錦戸亮さんと、好きだけど担当とは言えない中島裕翔くんとを引き合いに出して担当という概念について自分の見解を述べている。(お手数ですが各自ご参照願います)

 

 

 

そのブログの中でわたしは、裕翔は好きだけど担当ではない、担当は名乗れない、一生担当になることはない、とまで言い切っている。

 

 

裕翔のことはたぶんこれからもずっと応援するし好きだ。おじゃんぷのコンサートに行ったら絶対ゆうとの団扇を持つだろうし、無意識にゆうとを目で追うと思う。でも、この先いつか担当になる日がくるかと言われればきっとこない。きっと一生中島裕翔の担当にはならない。(こんなこと言ってて数ヶ月後に裕翔担名乗ってたら盛大に笑ってください)

いわゆる裕翔担の皆さんと同じくらい中島裕翔を愛せるかと言われればたぶん無理だ。どれだけ好きになっても裕翔が錦戸さんと同じ位置に並ぶことはない。うまく言えないけれど、例えて言うなら私の中に"好き"な人だけが立てる行き着く先の違う道がいくつかあって、錦戸さんと裕翔さんはそもそも立っている道が違う、そんな感じ(どんな感じ)。だからどれだけ好きになっても錦戸さんと同じくらいの存在(いわゆる自担)になることはきっと、ない。こんな生半可な気持ちのやつが中島裕翔くんの担当を名乗っていいわけがない。担当の皆様に対して失礼すぎる。逆の立場だったら私は、そんなに軽い気持ちで錦戸担名乗ってねーよ!!!!!!ってなると思う。いや、ならないかもしれないけれど、それ、担当なの?ほんとに?とは確実になる。思っても言わないけど。

 

 

私の中で錦戸さんと裕翔は同じ道に立つことのないはずの存在だった。それは絶対に揺るがないと思っていたし、この先も、たとえ現場に入ったとしても変わることはないと思っていた。"錦戸さんがすき"という気持ちと"裕翔がすき"という気持ちは言葉にすれば同じだけれど自分の中では全然違ったし、だからこそ担当になることは一生ないと本気で思っていた。

 

 

 

はずだったのに。

 

 

 

あの日、私はまんまと裕翔に落ちた。

それはもう、完全に、落ちた、という感覚だった。

 

 

 

10月1日、私は広島グリーンアリーナで行われたHey!Say!JUMPのコンサートに参戦した。

私にとって初めてのじゃんぷのコンサートだった。

じゃんぷはファンサがいいらしい、特に裕翔はファンサマシーンらしい、という情報を得た私は、もしもらえたらラッキーだな、くらいの気持ちで団扇を作った。(そんな気持ちで作り始めたくせに作っているうちに楽しくなってきて、結局まあまあなクオリティのものに仕上がったのだけれど)

当日はもちろんその団扇を持ってコンサートに臨んだ。

 

ただ、私の席はスタンドの後ろから5列目あたりで、決して良いとは言えない席だったため、団扇を持っているとはいえ、まあファンサはもらえないかな〜と思っていた。それに、ファンサをあまりしない関ジャニ∞のファンを長いことやっているので、ファンサをもらえないであろうことは正直どうでもよかった。せっかく団扇作ったしあわよくばファンサもらえたら嬉しいけど、まあ見れるだけで十分だよね、という感じだった。

 

そもそも私はじゃんぷのコンサートを一度でいいから生で見たくてFCに入ったし、今年行けたらFC更新しなくてもいいかな、とさえ思っていたので、ファンサうんぬんよりも、ただただ生で彼らのコンサートを見られるのが純粋に楽しみで仕方なかった。

 

 

照明が落ち、オープニング映像が始まり、次々と画面に映されていくじゃんぷのメンバー。いよいよ始まった!という高揚感。それでも最初のほうは「ええ感じの映像だな〜」なんて思いながらわりと気楽に見ていた(たしか)(あまり記憶がない)。しかし、映像が進み、裕翔が映された瞬間、私は叫んだ。「ひゃああああまってかっこいい〜〜まってやばいかっこいい〜〜めっちゃかっこいいんだけど〜〜〜〜( ;  ; )」とかそんな感じのことをひたすら言っていたような気がする。そのときの自分を思い返すとなかなか笑えるくらい、その時点で完全に裕翔に気持ちを持っていかれていた、と今振り返れば思う。だって、めちゃくちゃ格好良かった。今まで色々見てきてあれほどかっこいい、好きだ、と思ってきたはずなのに、映像に裕翔が映された瞬間、「まってかっこいいむり、裕翔めっちゃかっこいいじゃんなにこれかっこいい…」となるくらいには格好良かった。何より、自分がオープニングの時点でそんな反応をしたことが正直想定外だった。え!?わたしめっちゃ叫んだよな今!?ってなった。

 

 

オープニングでそんな感じなんだから、コンサートが始まってからもずっとそんな感じだった。自分が予想していたのの百倍くらい裕翔しか見ていなかった。百倍というのは少し盛ったけれど、私は当初じゃんぷのコンサートを全体的に満遍なく1つのエンターテイメントとして見る気満々だった。先のブログでも言っているように、とは言ってもきっとゆうとを無意識に目で追っちゃうんだろうな〜くらいには思っていたけれど、少なくともステージ上で踊っているときは全員のことを満遍なく、DVD映像で言うなら"引き"で、見ようと思っていたし、意識しなくてもそうなるだろうと思っていた(と言うのも、私はじゃんぷのきっちり揃ったキレのある全員でのダンスに本当に魅力を感じていて、それを見るのが本当に楽しみだったので)。でも実際は裕翔ばかりを目で追っていた。何処にいても裕翔しか見ていなかった。あれほど楽しみにしていた全員揃ったキレのあるダンスも、ほとんど裕翔しか見ていなかったので裕翔の記憶しかない。ダンスも、移動も、MCも、なにをしていても裕翔がステージ上にいれば裕翔ばかり見ていた。この人の一瞬一瞬を見逃したくない、と思った。裕翔を見過ぎて、モニターに大きく抜かれた山田くんのキャーポイント(何だったかは失念)を見逃したときは、さすがにハッとしたけれど、そのくらい裕翔しか見ていなかった。本当に予想外だった。まさかこんなに裕翔しか見ないコンサートになるとは思いもしなかった。釘付けだった。生で見る裕翔さんは本当に本当にめちゃくちゃ格好良くて格好良くて格好良かった。かわいい〜〜と思った瞬間もあったけれど、何よりも顔面が、そして頭身が、立ち姿が、驚くほど格好良かった。その格好良さで、歌うし、踊るし、喋るし、ふざけるし、笑うし、ファンサするし(まじで噂通りファンサマシーンだったので、すごいなー!本当にめっちゃファンサするんだなー!優しいなー!と感心しました)、もう勘弁してくれよ好きだよ、、、、って感じだった。

 

 

とは言え、ステージとは距離があったし、私の双眼鏡はクソみたいな安物ゆえにほぼ双眼鏡は覗かず裸眼で追っていたので、モニターを通さず私の目に映る裕翔さんは常に"動きは見えるけど表情はわからない"状態で、めちゃくちゃ格好良いと思ってしっかりと目で追いつつもまあまあそれなりに冷静さを欠かずに見れていたとは思う。少なくとも常に、何かを考える余裕がある、感想を持つ余裕がある、という感じではあった。

 

 

ほとんど裕翔しか見ていなかったけれど、全体としてもダンスとか照明とか演出とか、コンサートとしてのクオリティがものすごく高くて、本当に純粋に楽しかった。じゃんぷのコンサートって楽しいなー!すごいなー!、しっかり楽しませてくれるなー!と思った。たぶん担当がいなくても、好きな人がいなくても楽しめるコンサートってこういうのなんだろうな、と思う。

 

 

そんな感じで(どんな感じで?)コンサートは終盤に差し掛かり、あっという間に本編が終わった。

 

 

そしていよいよアンコール。

 

 

スタトロからはまあまあ近い(?)席だったので、もしファンサをもらえるとしたらアンコールだな、とは思っていたけれど、誰がスタトロにくるか分からなかったし、裕翔くればいいな〜くらいで構えていた。

 

 

ドキドキしながら待っていると、会場が明転し、メンバーが登場した。

自分のほうにくるスタトロに乗っているメンバーを確認すると、その先頭に裕翔の姿があった。

間違いなく裕翔だったけど、私の目にだけ映る幻だったらいけないので、隣の友達に「あれ裕翔だよね!?」と確認し、「裕翔だね!よかったねー!」と言われて初めて「わー!裕翔だ!本当にきたー!すごい!」と喜んだ。ファンサをもらえる可能性が残ったのが嬉しかったというのもあるけれど、何よりも、こんなに近くで裕翔を見れるんだ!!!という喜びが大きかった。

 

スタトロが進み、徐々に裕翔が近付いてくる。団扇に応えて次々とファンサをする裕翔。優しい。キラキラの笑顔。眩しい。

裕翔が近付いてくるにつれて緊張してきて同時に欲も出てきて、あーどうしよう近付いてきたやばいめちゃくちゃ格好良い><キラキラしてる><どうしよう><やっぱこの距離ならファンサほしいどうしよう><となり、私は団扇のどっち面を見せるか迷い始めた(考えたのは3秒に満たないくらいだけど)。オモテは名前、ウラは名前なしの「撃って」だった。名前だけでファンサをくれるのか?それならあなたのファンですと伝えられなくても「撃って」のほうがいいのか?いや、でもやっぱあなたのファンですって伝えたいな、よし、名前のほうにしよう、そんな感じで名前のほうを見せることにした。

周りに裕翔担はいなかったので、団扇が目に入ればファンサくれるかも、という淡い期待を抱きながら裕翔が近付いてくるのを待った。私の最も近くにスタトロがくる直前まで、裕翔さんは目を瞑って何秒か数えるファンサをしていてしばらく目を瞑っていたので、これここで目開かなかったらファンサは無理だな(笑)とぼんやりと思っていたのだが、運良くいい感じのタイミングで裕翔さんの目が開いた。しかもやや上方を見ているではないか!これはこのままの視線だったら私の団扇も目に入るかもしれないな!?そう思った矢先だった。どうやら私の団扇が裕翔さんの視界に入ったらしい。裕翔さんがファンサをくれた。夢かと思った。今でも夢みたいだ。

自担である錦戸亮さんはファンサらしきファンサをするほうではないし、エイト自体もそんな感じなので、自慢ではないが私はファンサにまったくと言っていいほど免疫がない。そんな私が好きな人からファンサをもらったのだから、ジタバタあわあわ足ガクガク。たぶんはたから見たら私はあの瞬間めちゃくちゃ気持ち悪かったと思う。ほしいとは思っていたけれどまさか本当にもらえるとは夢にも思わなかったし、こんなにも完全に自分に向けられたものだと(思い込みとかではなく)感じられるファンサは初めてで、とにかく無理だった。優しくて格好良くて眩しすぎた。意味がわからないくらい格好良かった。完全に吸い込まれた。落ちてしまった、と思った。完全に、落ちた、という感覚だった。きっとファンサをもらえなくても、コンサートに行く前よりもずっと裕翔さんのことを好きになっていたのは間違いないけれど、落ちた、と思うまでには至らなかったかもしれない。あの瞬間に、落ちた。あの瞬間から、それまでの何倍も何十倍も裕翔さんがキラキラふわふわ輝いて見え始めた。

 

基本的に錦戸さんに対しては、ファンサがほしいというより、生きてることがファンサ、何も望まないので勝手に拝ませてください、というスタンスで好きでいるので、ファンサをもらって落ちた、というのはちょっと自分のポリシーに反する気がして認めたくない気持ちもあったのだけれど、コンサート前後であまりにも裕翔さんの見え方が変わってしまったので(もちろん良い方向に)、認めざるを得なかった。

 

そのことに最初に気付いたのは、コンサートの帰りの車内でじゃんぴんぐかーにばるを見ているときだった。画面に映った裕翔さんを見て、驚いた。今までも散々見てきたDVDなのに、初めて見るものかと思うくらい、裕翔さんが輝いて見える。今までももちろん格好良いとかかわいいとか思いながら見ていたけれど、そんなレベルじゃなくて。格好良いとかかわいいとかはさておき、あの胸がぎゃんってなる感じ。錦戸さんを見ているときに似た胸の高鳴り、ときめき。これはやばいな、と思った。これはやばい、完全に落ちたかもしれないな、と。

 

でもまぁコンサート直後ってそんなもんだよね!数日経ったらまた戻るかも!と思い直し、気持ちがおさまるのを待ってみることにした。

 

が、戻らない。一向に戻らない。裕翔さんを見ても輝きを増すばかりだし、知りたくて仕方ない。何を見ても好き…ってなるし、にやける。ついに昨日、好きすぎてしんどい、の境地に至った。

 

あーーーーこりゃもう本当にダメだな、、、と思い、このブログを書くに思い至った。

 

 

今はもう、"担当になることは一生ない"なんて言えない。担当を名乗れるほど裕翔のことを知らないし見てきたわけでもないので、裕翔担を名乗るつもりはさらさらないけれど、少なくとも、違う道の上にいた錦戸さんと裕翔さんが今は同じ道の上にいる。その道を交わらせたのがあのファンサだったのは言うまでもない。

 

誤解されたくないのは、ファンサをくれるから裕翔が好き、なわけではないということ。あのファンサが私を完全に沼底に転がり落とす最後のトリガーだったのは間違いないけれど、あのファンサを忘れることはきっとないけれど、だからと言ってファンサがほしくて裕翔を好きでいるわけではない。現にいま、できることならもう一度コンサートに入りたいと思っているのは、ファンサをもらいたいから、ではなく、もう一度裕翔さんを見たいから、裕翔さんに会いたいから、というそれだけの気持ちだ。単純に、裕翔さんのためにお金を使いたいと今は思える。なんでもいいからお金を使わせてくれ、と思える。要するに、"担当"と呼べるくらいの存在になりつつあるということだ。担当ではないけれど気持ち的にはそれに近いところまできている。これは(私の気持ち的には)すごいことで、(私のお財布的には)やばいことだけど、気持ちのままにずぶずぶにはまるのも悪くないかな、と思っている。だって、裕翔がかっこいい、それだけで十分すぎるくらい十分じゃない?

 

こんなこと言っておきながら数週間後にはスンってなってるかもしれないし、はたまた数ヶ月後には担当を名乗っているかもしれないし、こればっかりは自分でも分からないけれど、暖かく見守っていただけると嬉しいです。

 

 

最後にこれだけ言っておきます。

初めて生で見た裕翔さんはほんっっっっっとうにめちゃくちゃ格好良かったです!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

おしまい。

 

阿部顕嵐くんのお話

 

 

 

阿部顕嵐くん、19歳のお誕生日おめでとうございます!!!!!

 

 

 

 

というわけで、顕嵐くんのお誕生日といういい区切りなので顕嵐くんに対するいまの私の気持ちを長々とツイートしようかと思ったのですが、なんだか本当に長くなりそうだったのでブログを書いてみることにしました。2016年8月30日現在(ブログ書いてるのは29日ですが笑)の私の気持ちを残しておくためだけのブログなので、読まれる方はそのつもりでぬるっと読んでください。

 

 

 

 

顕嵐くんを認識したのはいつだろう、と思ってTwilogを遡ってみたら、2015年11月9日の私が「WUを立ち読みしてきたんだけど、阿部顕嵐くんって子が永瀬廉くんを抑えて私の中のきになるジュニアランキング1位に躍り出た」と言っていた。確かこのときは顕嵐くんを見た瞬間、「なんだこの子!?圧倒的にかっこいい!!!圧倒的に顔がタイプ!!!」と思った(気がする)。

 

 

 

世の中には顔ファン撲滅!とか言ってる妙なオタクもいるけれど、あえて堂々と言おう。わたしはとにかく単純に顕嵐くんの顔が好きで、顔がタイプで、顔がかっこいいから顕嵐くんのことが気になり始めた。ちなみに廉くんも顔がタイプ。

 

 

 

 

そのときは気になる程度で終わったのだけれど、それから月日は流れ、フォロワーさんから顕嵐くんのことやあらちかというシンメの存在を教えてもらったのがきっかけで(たしか)、あらちか関連の動画を見漁るようになり、顕嵐くんやっぱかっこいいな〜〜〜あらちかちゃん尊いな〜〜〜という気持ちが私の中でじわじわと高まっていた。

そんな矢先に自分の部屋に衛星放送が開通(?)して少クラを録画できるようになり、たまたま自分の部屋のHDDに一番最初に録画した少クラの中にトラジャ弟組のスリルが収録されていて、とりあえず顕嵐くんのかっこよさと色気に度肝を抜かれ、思えばこのあたりから沼の入り口が見えていたように思う。

 

 

 

ただ、なかなか少クラに顕嵐くんが出ない。出ない。出ない。悶々としながら動画を漁る日々。この頃はまだ沼にははまっていなかった(はず)。顕嵐くん出してくれたらいいのに〜〜なんでダメなんだろう?あんなにかっこいいのにな〜〜需要あるのにな〜〜くらいの気持ちだった。

 

 

 

で、そんなある日、ようやく少クラにトラジャが出てきた。曲は嵐のFaceDown。

おお、なんかかっこよさそう!!!!!やっと顕嵐くん見れる!!!!!!そんなやや軽い気持ちで見始めた。

 

 

 

やっぱ顕嵐くんかっこいいなぁ、、、かっこいい、、、、めちゃくちゃかっこいいじゃん、、、、かっこいいなぁ、、、、という感じで曲が進行していき、"その瞬間"が訪れた。

 

 

 

顕嵐「次の奇跡は〜♪」

 

 

 

 

!!?!?!!!?!?!

 

 

 

 

はあ!!!?!?!?!?まってむりむりむりむりまって????むり!!!!!まって!!?!?むり、、、、、まって、、、、、むり、、、、、、むり、、、、、、、、、、むりでしょ、、、、、、、、、、むり、、、、、、、、、

 

 

 

 

落ちた。まさにこの瞬間に落ちた、とはっきりと自覚があるくらい、この瞬間ものの見事にわたしは沼に転がり落ちた。心を奪われた感覚だった。あ、わたしこの人のこと好きだ、と思った。

 

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(完全なる余談だけど、仲良しの錦戸担も私と時を同じくして見事に顕嵐くん沼に転がり落ち、一緒に沸ける存在ができたためにさらに気持ちに拍車がかかったのは言うまでもない)

 

 

 

 

 

それからの気持ちの加速は凄まじかった。

止まらないワクワク、止まらないドキドキ。

久しぶりの感覚。

もっと見たい、もっと知りたい。

顕嵐くんのためにお金を使いたい。

デビューしてほしい。貢がせてほしい

 

 

 

 

………いやいやいや、待て待て待て、落ち着けわたし、18歳の男の子にはまるってなんか色々アウトだよ?落ち着け落ち着け

 

 

 

錦戸さん以外の誰かに対して一喜一憂したり何かある度に色々考えたりするのは初めてで、最初は少し戸惑ったというか、この沼完全にはまってしまったら色々終わりだぞ、と私の中の何かが必死にセーブしていた(つもりだった)。

けれど、いつの間にか(というか本当に呆気なく)そのセーブも効かないほどにどっぷりと沼にはまっていて、見るたびに惹きつけられて、気付けば底なし沼の中にいた。

 

 

 

まさかこんなに好きになるとは思ってもみなかったけれど、顕嵐くんを好きになってから毎日が今まで以上に楽しくなった。錦戸さん以外の誰かのことをこんなに知りたいと思ったのも初めてで、新しい世界を知るのが楽しくて嬉しくて、ワクワクが止まらなくて、ドキドキが止まらなくて、これからどんな世界を見せてくれるんだろう?と思うと楽しみで仕方なくて。錦戸さん以外の誰かの未来にこんなにも期待を抱いて、この人のためにお金を使いたい、この人のためにお金を払う価値がある、と思えたのは顕嵐くんが初めてだった。

 

 

 

そして顕嵐くんのことを知れば知るほど、錦戸担の私が阿部顕嵐くんに惹かれたのは必然だったと思えてきた。TravisJapanとして活動していた顕嵐くんがLove-tuneに正式に加入して掛け持ちというかたちになったときにはさすがに、何の運命だろう?と思った。顕嵐くんが必要とされているのが嬉しくて誇らしいと同時に、自担が歩んできた今までを思い、顕嵐くんの行く末を想像すると複雑な気持ちにもなった。あらちかと内亮を勝手に重ねてしんどくなったり切なくなったりもした。何の運命だろう?と何回思ったかわからない。私が好きな2人を無意識に寄せて考えてしまっているのはあるのかもしれないけれど、それでも、顕嵐くんと錦戸さんを勝手に重ねてしまうくらい、2人には近しいものを感じる。性格とか見た目とかは違うと思うけれど、人を惹きつける圧倒的なオーラとか、センターを張れる輝きとか、それゆえの周囲からの期待度とか、笑顔がかわいいところとか、頑張っても面白くない(失礼)ところとか、だけど良い意味でみんなに甘やかされてるところとか、優しいところとか、白Tが似合うところとか、名前の字面からして芸能人なところとか、とにかく顔がかっこいいところとか、シンメとして唯一無二の存在がいるところとか。

特に、圧倒的なオーラと絶対的な輝きは、錦戸さんに感じるものに本当によく似ている(贔屓目はあると思うけど)。らぶとぅんが7人になって初めて登場した少クラで披露したファイヤビ、顕嵐くんが「グズグズしてる場合じゃない」と歌い出したときの会場の悲鳴。何回見ても鳥肌が立つし、何回見ても盛大にドヤ顔をかましてしまう(超勝手に)。帝王顕嵐様。痺れる。

 

 

 

こういうふうに誰もを魅了する存在感とかオーラとか輝きとかを放てる人って、そうそういない。少なくとも私は、顕嵐くんがそういう人だったから好きになったというのは大いにある。無意識に惹かれたのはきっと顕嵐くんがそういう人だったからなのだと思う。誰よりも輝く場所にいてほしい。一番に選ばれる人であってほしい。顕嵐くんに対するこういう身勝手で押し付けがましい願望は、錦戸さんに対して抱くそれと全く同じだ。言いかえれば、そのくらい、顕嵐くんには期待しているし、もっともっともっと上に行ける人だと思っている。もっともっともっと輝くべき人だと思っている。

 

 

 

 

最近は、まあ色々あって。あらちかに想いを馳せすぎてしんどくてしんどくてしんどかったけれど、それでもやっぱり顕嵐くんの未来は明るいんだと思う。顕嵐くんが選んだのか、誰かに選ばれたのかはわからないけれど、顕嵐くんがこれから歩んでいく道はきっと顕嵐くんを今以上にキラキラ輝く場所へ連れて行ってくれる、と私は信じている。辛いこと苦しいこと悲しいこともたくさんあると思うけれど、それ以上に楽しいこと嬉しいことがたくさんたくさんたくさん溢れているはず。だから、安心して、自分を信じて、周りのみんなを信じて、時には頼ったり頼られたりしながら、驕らず、気負わず、進んでいってほしい。どこにいても、顕嵐くんが心から笑っていられる毎日がありますように、と切に願っています。

 

 

大丈夫、だって、みんな顕嵐くんのことが大好きだなと思うんだぜ!

 

 

 

 

 

今はまだ本当にギリギリのプライド(?)で担当は名乗っていませんが、いつか顕嵐くんがデビューしたら、そのときは顕嵐くんの担当を名乗りたいと思っています。はやく名乗れる日がくるといいな。

 

 

 

(たとえその日がきて顕嵐担になったとしても、もちろん錦戸担も継続しますのでご安心を)

 

 

 

 

あと、サマステ入れなかったのが死ぬほど悔しかったので、はやく顕嵐くんに会いたいです。関係者各位、次の現場はわたしが入れる日程にしてください。(そんな無茶な)

 

 

 

 

 

 

 

 

19歳が顕嵐くんにとってたくさんの幸せに溢れた素敵な1年となりますように。

 

 

 

 

 

きらめきの彼方へ!

 

 

 

続・内博貴とはなんだったのか

※昨日感じたことを絶対に忘れてはいけないと思ったので、グレイト・ギャツビーを観劇した(というか内くんを見た)感想を書き留めます。ネタバレはありません。




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内博貴だった。


たしかに、内博貴だった。


私が見た内博貴はもはや私が知っている内博貴ではなく、それでいてたしかに私の知っている内博貴だった。


あまりにも格好良かった。


あまりにも美しかった。


そしてあまりにも 内博貴 だった。


顔も声も、私の知っている彼のそれだったけれど、
初めて見た人のようだった。ただただ圧倒された。


色んな感情が押し寄せてきて、私は涙をこらえるのに必死だった。


内くんが舞台に立っている間はアホみたいにずっと泣きそうだった。




内博貴の時間はたしかに進んでいた。


内博貴は"内博貴"としての人生を歩んでいた。


もうお兄ちゃん達に溺愛される関ジャニ∞の末っ子内博貴ではなかった。


まもなく30歳を迎える、1人の立派な男性だった。


隣に誰かの支えがなくても、立派に1人で歩いていた。




こんなにも時が経ったのか、と思った。




知らない間に時が流れていたことに私は気付いてしまった。いや、気付かないふりをしていたけれど、今の彼の姿を目の当たりにして、認めざるを得なかった。


知らない間に時間はたしかに流れていて、知らない間に内くんは遥か前へと進んでいた。いつまでも過去の中で生かしておくのは彼に失礼だとさえ思った。そのくらい、彼は"今"を生きていた。



舞台上の彼を見ながら私は(お前誰目線だよって感じだけど)内くんはあのときからずっと死ぬほどがんばってきたんだなぁ、と思った。よくここまできたなぁ、と思った。ああ、よかったなぁ、と心から思った。内くんは私が思っていたよりもずっと輝いていた。今の場所で、輝いていた。私の中で止まっていた彼の時間が、いきなり早送りで再生されたような、そんな気分だった。彼の今までをまざまざと見せつけられたような気がして、鳥肌が立った。涙が出そうになった。格好良かった。本当に格好良かった。知らないようでよく知っていて、知っているようで全く知らないその人は、たしかに私が恋い焦がれてきた内博貴だった。


もう縋っていられないな、と思った。


彼はもう、関ジャニ∞でもNEWSでもなく
たった1人の"内博貴"そのものだった。


誰よりもピンク色が似合う彼は
皮肉にも綺麗なピンク色のスーツを身に纏って
あの美しい顔で、美しい声で、観客を魅了していた。


彼の覚悟とか熱意とか誇りとか、そういった類のものが1つの大きなエネルギーとして私の心に押し寄せてきた。


単純に、凄い、と思った。


内博貴を見くびっていたな、と思った。


勘違いしていたな、と思った。


関ジャニ∞でいることを選ばなかった(選べなかったのかもしれないけれど)のは、彼なりのケジメだったのだろうな、と思った。


彼は関ジャニ∞のことをどうでもよくなったわけでは決してないんだろうな、となんとなく思った。


好きだから、大切だから、甘えてしまうから、離れなければならなかったんだろう。彼が彼として歩むには、生まれ変わるには、関ジャニ∞という存在はあまりにも大きすぎたのかもしれない。


百聞は一見に如かずとはよく言ったもので、
今まで幾度となく見てきた元内担さんの言葉も、なんとか消化しようとしてきた今までの色々な出来事も、消えることのなかった想いも、今の彼の前では全てが無効だった。


自分でもびっくりするくらいすんなりと、今の彼を受け入れていた。


今の彼の姿が、全ての答えをくれた気がした。


戻ってほしい、なんて口が裂けても言えない、と思った。


悔しいけれど、内くんは格好良かった。
あまりにも格好良かった。
今の彼を肯定するには十分すぎるほど格好良かった。




ああ、これでやっと前に進める、と思った。





私の中で止まっていた彼の時間がやっと動き出した。
"内博貴"として生きる彼をやっと認めることができた。




関ジャニ∞はたしかに8人だった。
そしてその8人の中に内博貴はいた。
それは紛れもない事実で、そこには何の嘘もない。
消せなんて言われても無理だ。
消せるわけがない。
だって、私が好きになったのは8人の関ジャニ∞だ。


頭ではわかっていても、やっぱり8人を越えるものなんてないんだよ、内亮を越えるものなんてないんだよ、とずっと思っていた。
8人の関ジャニ∞が好きだった。内亮が好きだった。
そこだけは私の譲れない部分であり、信じてきたものだった。


それはたしかに間違っていなかった。
間違っていなかったけれど、間違っていた。



私が思っているよりもずっとずっとずっと
彼は、彼らは、強かった。



8人を越えるものなんてない、と誰よりも思っていたのはきっと彼らだっただろう。
"関ジャニ∞内博貴"の存在の大きさを誰よりも分かっていたのはきっと彼らだっただろう。


それでも誰よりも前だけを向いて進んできたのもきっと彼らだったのだろう。


これで良かった、これが正解だった、とは言わない。
あの日の出来事は、なかったほうがいいに決まってる。
何事もなく、8人で進んでいけたほうがよかったに決まってる。
内亮が内亮でいられる毎日が当たり前のように続いたほうがよかったに決まってる。



でも、あの日から今まで彼らが歩んできた時間は、きっと間違っていなかった。



彼らが別々の道で輝くには"関ジャニ∞内博貴"との決別が必要だった。多少強引にでも、決別しなければならなかった。きっと決別こそが彼の背中を押すことだった。そしてきっと決別こそが彼に対する愛そのものだった。



関ジャニ∞は強い、そして内博貴も強い。
たぶん、私たちが思っているよりもずっと。





舞台の終わり、一番最後に出てきた彼は、
共演者の皆さんに囲まれ、鳴り止まぬ拍手の中で、
嬉しそうに楽しそうに誇らしそうに笑っていた。


ジェイ・ギャツビーとして、座長を全うしていた。
誇りを持って、仕事をしていた。


ああ、この人は、私の知らない間にこんなに大きくなったのか、と思った。


最後は溢れる涙をこらえきれなかった。何に対してかわからないけれど、ただただ涙が溢れた。



内くんが輝ける今があって本当に良かったと心から思った。
内くんがあのとき諦めずにこの世界でもう一度輝こうとしてくれて本当に良かったと思った。
彼を引き止めたのは亮ちゃんの言葉だったかもしれないし、ジャニーさんの言葉だったかもしれない。
それは本人にしかわからないけれど、たった今ここで彼が輝いているのは、他ならぬ彼自身の並々ならぬ覚悟と決意と努力の結果なのだろうと思った。





偶然か必然か、7月16日であの日からちょうど11年。そして昨日は12年目の始まりの日だった。



そんな日に、今の彼に会うことができて、本当に良かった。内くんはやっぱり内くんで、でも内くんじゃなくて、それでもやっぱり内くんだった。迷っていたけれど、会いにいくことに決めて本当に良かった。私の信じてきたものはきっと間違いではなかったし、彼らが歩んできた時間もきっと間違いではなかった。それだけで十分だった。これでようやく私は少しだけ前に進める気がする。



迷っている人がいたら、ぜひ今の彼を見てほしい。
どんな記憶もどんな言葉も、今の彼の前には屈するしかない。
今の彼を前にして過去に縋るのは失礼だと本気で思った。
この私がそう思うのだから、相当だ。
そのくらい、圧倒的に格好良かった。圧倒的に輝いていた。




こんなにもきちんと進めているのなら、正直もう時効でいいのでは、と思う。
"関ジャニ∞"と"内博貴"でステージに立つことが許されてもいいくらい、彼は、彼らはきちんと前に進んでいる。少なくとも私は今の彼を見てそう思った。
思い出したように同じステージに立って、そんなこともあったね、って笑ってくれればそれでいい。
8人の関ジャニ∞を願ったりしないから、せめてもう同じステージに立つことくらい許してくれてもいいじゃないか。
"関ジャニ∞"と"内博貴"であっても変わらない関係であってほしい、とはやっぱり願ってしまうけれど、それでも私なりにやっと"7人の関ジャニ∞"と"内博貴"を本当の意味で肯定できた。彼らの"今"を肯定できた。私がすきになった8人は、7人と1人になっても、やっぱり私がすきになった8人であることには変わりなかった。7人がすきで、1人がすきだ。彼らがそれぞれ別々の道を歩んでいようとも、私があの頃からすきなのは横山裕渋谷すばる村上信五丸山隆平安田章大錦戸亮大倉忠義そして内博貴だ。




ありがとう、内くん。
私はこれでやっと前に進めます。


素敵な舞台を見せてくれてありがとう。


本当に格好良かったです。



いつまでもあなたらしく輝いていて下さい。
陰ながらずっと応援しています。




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いつかは過去も現在も未来も愛しく思えるなら
何処までも行こう 僕のままで






内博貴とはなんだったのか

 

※はじめに言っておきますが、クソ懐古厨のクソみたいな激重ブログなので見たくない方は速やかにお引き取りいただくほうが賢明だと思います。

 

 

 

 

 

内博貴

元NEWS・関ジャニ∞のメンバー。

 

 

 

 

 

かつて関ジャニ∞は8人グループだった。当時を知っていても知らなくても"関ジャニ∞がかつて8人だったこと"はおそらく大半のファンが知っている事実だと思う。彼が脱退するまでの色々はググればすぐに出てくると思うので割愛させていただくが、私はいまだに8人の関ジャニ∞を引きずっている。時折繰り出される激重ツイートからもわかるように、わたしは俗に言う(?)8人厨というやつなのだと思う。内博貴がすきだった。メンバーからファンから溺愛される関ジャニ∞の末っ子内博貴がすきだった。

 

 

 

そしてなにより、内博貴錦戸亮

NEWSと関ジャニ∞を掛け持ちしていた、

この最高で最強のシンメである内亮がだいすきだった。

 

 

(だいすきだったというか、今でも他のどのコンビよりもだいすきで恋い焦がれているのだけれど)

 

 

 

内亮のエピソードもググればたくさん出てくるので割愛させていただくが、とにかく内亮は誰の目から見ても相思相愛だった。正直、今のえいとの中での亮ちゃんと誰かのコンビは、たいてい亮ちゃんから誰かへの愛が圧倒的に大きいように思う。ただそれは決して相手が亮ちゃんを愛してないと言いたいわけではないし、そんな様子が微笑ましくて可愛くてだいすきなのは間違いない。もちろん優劣つけられないくらいどのコンビもだいすきだ。でも、わたしにとって内亮は特別だった。少なくともわたしが見てきた恋い焦がれてきた内亮は、内くんから亮ちゃんへの愛と、亮ちゃんから内くんへの愛が等しかった。等しく、かつ、他の誰に対してよりも大きかった。お互いがお互いを必要とし、隣にいるのが当たり前で、離れるなんて有り得ない。お互いにとって唯一無二の存在だった。そんな内亮が愛おしくてだいすきだった。

 

 

 

たぶん、錦戸さんにとって、一番失いたくない、失ってはならない存在が彼だった。

 

 

 

しかし運命とは残酷なもので、わたしのだいすきな内亮は、8人の関ジャニ∞は、あの日、失われてしまった。それでも錦戸さんは、えいとは、あきらめなかった。内くんが帰ってこれるようにと、彼らは日々を生き抜いた。そして私が見てきた彼らはいつだって内博貴を愛していた。心から愛していた。(これについても数々のエピソードがあるのだがググれば出てくるので割愛)

 

 

錦戸さんは内くんの件があってから責任とか後悔とか重圧とか色んな、本当に色んなものをたったひとりで背負っていたように思う。掛け持ちという立場で、NEWSメンにもえいとメンにも言えないこと、内くんだけには言えたこと、内くんとだけは分かち合えたこと、沢山あったと思う。本人にしか分からないけれど、内博貴という存在を失ったことは、錦戸さんにとって相当なダメージだったはずだ。何より、錦戸さんは彼のことが大好きだったから。

 

 

そんな錦戸さんの内くんに対する想いは、当時を知る誰もが当然のように知っていることだろう。

 

 

真偽は不明だが、Half downという錦戸さんのソロ曲は内くんのことを歌った曲と言われている。そう思って聴くともはやそうとしか聴こえないし、というか絶対そうだし、錦戸さんの中での内博貴という存在の大きさを感じるしかなくて、苦しくて苦しくて苦しくなる。(ちなみにわたしの中ではスケアクロウもそういう風に聴こえる←重症)

 

関ジャニ∞の楽曲で言えば、BJ、puzzleも内くんのことを歌った曲と言われている。(だから8ESTの本編最後の曲がBJだったこと、その事実だけで私は泣きそうだったし、みんなすごく優しい顔して歌うもんだから泣くしかなかった。)

 

 

彼は、彼らは、ファンは、内博貴が戻ってくることを信じていた。"東京ドームで見た、一度は失ったはずの可能性"を信じていた。

 

 

 

でも、叶わなかった。もう、内博貴は戻ってこない。それはわかっている。関ジャニ∞として彼がステージに立つことはない。

 

 

今まで公の場で内くんについて発言してこなかった(発言することが許されなかったのかもしれない)錦戸さんが、8ESTオーラスで泣きながら言った

 

 

「8人目は私です、って言ってください」

 

 

この言葉が全てだ。内くんがもう戻ってこないであろうこと、そしてそれを関ジャニ∞も受け容れていること、そのことはもっと前から頭では理解していたはずだった。でも、きっとどこかでまだ期待していた。誰より近くにいて誰より彼が戻ってくるのを待っていた錦戸さんから発せられたこの言葉は、受け容れたくない現実を理解するには十分すぎるくらい十分だった。錦戸さんが、関ジャニ∞が、受け容れた以上、ファンも受け容れるしかない。こう言えるようになるまでに錦戸さんはいったいどれだけの想いと言葉を飲み込んできただろう、そう思うといつでもどこでも涙が込み上げてくる。そのくらい、この言葉は重い。錦戸亮にとっての内博貴という存在の大きさを分かっているから、重い。

 

 

 

内博貴は愛されていた。たしかに、愛されていた。そしてきっと、今も、だ。メンバーではなくなっても、"内博貴関ジャニ∞にいた"ことは紛れもない事実で、メンバーにとって内くんは今でも大切な存在なのだと思う。というか、そうであってほしいという勝手な願いなのだけれど。

 

 

メンバーにとってはもはや"過去"なのかもしれないし、同じように"過去"として消化できたファンもいるだろうし、"過去"の事実としてしか知らないファンも大勢いる。"エイトのツートップ"という、私の中では内亮にしか使うことのできないワードで思い浮かべるのが内亮ではない人も今や大勢いる。そのくらい十分に時間は経っていて、知らない間に時は流れていた。一方で、いまだに"過去"にできないファンだっている。言わずもがな私もその一人だ。

 

 

「6人やろうが7人やろうが8人やろうが関係ない」と大倉さん不在の元気LIVEオーラスですばるくんが言った。

 

 

8人であったこと、が彼らにとってはもはや過去だとしても、なかったことにだけはしてほしくないと常々思っている私にとって、この言葉の持つ意味は大きかった。彼らがあれほどまでにこだわってきた"8人の関ジャニ∞"を諦め、"7人の関ジャニ∞"を受け容れたこと、そこには私の想像を遥かに絶するほどの思いと覚悟と決意があっただろうこと。そこに至るまでの過程は決して消えないのだと、乗り越えたから今の彼らがあるのだと、あの頃の彼らは嘘ではなかったのだと、彼らにとっては大切な大切な記憶なのだと、内博貴はたしかに関ジャニ∞のメンバーだったのだと、それだけで十分だった。

 

 

彼らが"8人"に言及するたびに私は泣いてしまう。もうこれは条件反射で、やめろと言われても無理だ。そのくらい、私は8人の関ジャニ∞を、いや、たとえメンバーではなくても8人が同じステージに立って笑い合える日がくることを、ずっとずっと待ち望んでいた。というか今も待ち望んでいる。その日がくるまでオタクをやめられない、とさえ思う。もちろん7人を否定したいわけではない。そういうことじゃない。過去があるから今があるのだと、そんなのはわかっている。内くんがいたらきっと今の関ジャニ∞がなかったであろうことも痛いほどにわかっている。今の関ジャニ∞ももちろんだいすきだ。私が8人に縋るのは、そのこととはまた別の話というか、そんな簡単に割り切れる話ではないし一言で片付けられる話ではない。だから今も苦しい。

 

 

 

そんな中で(どんな中)昨日、ある記事がTLに現れた。舞台「グレイト・ギャッツビー」で主演を果たす内くんにまつわる記事だった。大阪に向かうバスの中で、私はなんとなくその記事を開いた。その記事の中の一節がわたしをどん底に突き落とした。

 

 

「年上ばかりでしたし、うまく心を開けなかった」

 

 

彼が関ジャニ∞に対して抱いていた想いと思われる(←年上ばかりだったと言っているので)その言葉が心に突き刺さった。まじかよ、と思った。ショックだった。記事の文面を全部信じるのも違うとは思うし、そこには何らかのバイアスがかかっている可能性だって大いにある。彼が自分を納得させて前だけを向くためにそういうふうに思うことにしたのかもしれない。それは彼にしか分からない。それでも、痛かった。私にとっては、あまりにも痛かった。あれほどまでに縋ってきた8人の関ジャニ∞ってなんだったんだろう、と思った。彼が戻ってこれる場所をつくろうと必死だった7人はなんだったんだろう、と思った。"東京ドームで見た、一度は失ったはずの可能性"はなんだったんだろう、と思った。あの頃7人が信じていたものってなんだったんだろう、と思った。私が信じてきたものってなんだったんだろう、と思った。彼らが内くんを愛していたほどに内くんは彼らを愛していなかったのか。内くんにとって関ジャニ∞はそんな一言で片付けられる程度の存在だったのか。そんなわけない。そんなわけない、と思いたかった。嘘だと思いたかった。いや、もしかしたら表向きの嘘なのかもしれない。でも、真意は本人にしかわからないけれど、あの決して楽ではなかった時代をそんなふうに簡単に、たった一文で記事にされてしまう事実が、つらかった。悲しかった。苦しかった。

 

 

何より、亮ちゃんに対しても同じように思っていたの?亮ちゃんは特別だったでしょう?あの頃の二人は嘘じゃなかったでしょう?と思うと、ただただ苦しくてたまらなくて、バスの中で今にも溢れそうな涙をこらえるのに必死だった。亮ちゃんだけは特別だったと言ってほしい。というか、確かに特別だったはずだ。私が見てきた内亮に嘘はなかったはずだ。

 

 

 

だって、そうじゃないと、あんまりだ。あまりに報われない。錦戸さんが報われない。錦戸さんがあの頃飲み込んだ想いと言葉の数をおもうと、ほんとうにたまらなかった。

 

 

 

 

 

たまにぼんやりと考えることがある。内くんがいたら今の関ジャニ∞はどうだっただろう?内くんがいたら錦戸さんはどうだっただろう?錦戸さんは今でも内くんのことを考えて苦しくなったりするだろうか?今でも良い関係でいるんだろうか?たまに会ってご飯食べたりするんだろうか?電話したりするんだろうか?新録へぶんりーをどんな想いで編曲したんだろうか?内くんのことを思い出したりしただろうか?今も錦戸さんと内くんが変わらない関係だといい。関ジャニ∞と内くんが変わらない関係だといい。

 

 

 

彼らにしかわからないことはたくさんある。ファンが見るのなんて彼らの一部でしかなくて、何が真実で何が嘘かなんて、結局分かりはしない。だからこそ、勝手に信じていたいものもたくさんある。少なくとも私は、私のだいすきな内亮を、8人の関係を、信じていたい。あの記事を見ても、全く諦められない。私の見てきたものは、信じてきたものは、きっと嘘じゃない。本当にめんどくさいオタクだなぁとつくづくおもう。それでも、いつか8人で同じステージに立って笑っている彼らを見て、泣きながら笑いたい。その日がくるまで私はきっと8人に縋り続けるのだとおもう。頭でわかっても心が言うことをきいてくれないんだから、こればっかりはしょうがない。

 

 

 

 

 

7月、ついに内くんに会いに行ってきます。

今の彼を観てきます。

これほどまでに恋い焦がれてきたのだから、正直会うのがこわい。

きっと私の知っている内くんではないだろうし、"内博貴"としての人生を歩んできた彼がそこにはいるんだと思う。

今の彼をみて自分が何を感じるのか、正直検討もつかない。

こわいけど、私もこれで少しは前に進めるかもしれないなぁ、そんな期待も抱きながら。

 

 

 

 

 

いつかは過去も現在も未来も愛しく思えるなら

何処までも行こう 僕のままで

 

 

 

 

 

担当という概念について考えてみた

 

"担当"

 

それはジャニーズファンなら誰もが知っている、そしてジャニーズファン以外にはおそらく馴染みのない概念。

 

 

ジャニーズファンの中にも"担当"という言葉をあまり好かない人もおそらく一定数いる(たぶん)。しかし担当という言葉は実に便利なものでもある。同担、他担、自担。担当という言葉を使えば様々なものを言いまとめられる 。さらに便利なのは「自担のことが好きすぎてどうしたらいいかわからない」という類のややきもちわるいツイートをしたとしてもエゴサにひっかかることがない。便利。どうでもいいけれどわたしは錦戸さんのことをなんだかはずかしくてどうしても「りょん」と呼べないので、検索にひっかかりたくないときは自担という便利ワードをありがたく使わせていただいている。(まじでどうでもいい)

 

で、タイトルの話に入っていくわけだが、まずはそもそもなぜわたしが担当という概念について考え始めたか、ということについてお話しようと思う。

 

Twitterでフォローしてくださっている方はご存知かもしれないが、私はHey!Say!JUMPの中島裕翔くんのことが好きだ。好きなのだけれど、担当かと言われれば違う。錦戸さんに対して抱く想いと裕翔さんに対して抱く想いは全然違う。何が違うと言われたらうまく答えられないけれど違う。でも裕翔のことも好きだ。好きだけれど担当じゃない。担当は名乗れない。じゃあなんだ?ファンか?私はファンと名乗っていいのか???お???

 

そんな感じで私は担当という概念について考え始めた。(どんな感じだよ)

 

裕翔のことはたぶんこれからもずっと応援するし好きだ。おじゃんぷのコンサートに行ったら絶対ゆうとの団扇を持つだろうし、無意識にゆうとを目で追うと思う。でも、この先いつか担当になる日がくるかと言われればきっとこない。きっと一生中島裕翔の担当にはならない。(こんなこと言ってて数ヶ月後に裕翔担名乗ってたら盛大に笑ってください)

 

いわゆる裕翔担の皆さんと同じくらい中島裕翔を愛せるかと言われればたぶん無理だ。どれだけ好きになっても裕翔が錦戸さんと同じ位置に並ぶことはない。うまく言えないけれど、例えて言うなら私の中に"好き"な人だけが立てる行き着く先の違う道がいくつかあって、錦戸さんと裕翔さんはそもそも立っている道が違う、そんな感じ(どんな感じ)。だからどれだけ好きになっても錦戸さんと同じくらいの存在(いわゆる自担)になることはきっと、ない。こんな生半可な気持ちのやつが中島裕翔くんの担当を名乗っていいわけがない。担当の皆様に対して失礼すぎる。逆の立場だったら私は、そんなに軽い気持ちで錦戸担名乗ってねーよ!!!!!!ってなると思う。いや、ならないかもしれないけれど、それ、担当なの?ほんとに?とは確実になる。思っても言わないけど。

 

 

じゃあ担当ってなんだ?どうなれば担当?どのくらい好きだったら担当???

 

 

私は考えた。考えてもわからない。でも考えた。考えても何の意味もない。でも考えた。考えても誰の為にもならない。でも考えた。なぜかって?単純に私自身を納得させるために。

 

 

そしてやっとその答えが出た。答えが出たのでこのブログを書くことにした。昨日ツイートした内容と重複するのだけれど、懲りずにもう一度書きます。

 

 

まず大前提として私は猪突猛進型オタクと見せかけてわりと現実的で冷めているので、ライブのグッズも基本的にはペンラとパンフしかいらないと思っているし、雑誌も選りすぐった欲しいものしか買わないし、お財布の紐は緩くはない。たぶん。

 

 

でも、本当に欲しいと思ったものは後先考えずにすぐに買う(これが俗に言うお財布の紐が緩いってやつなのか?)。言い方を変えればお金を払いたいと思うものには迷いなくお金を払う。いいものにはむしろ積極的にお金を払いたい。最近で言えば、裕翔さんのたった1ページに心奪われたがために雑誌を購入したり、買うつもりのなかったじゃんぴんぐかーにばるを購入したり、白木蓮吾を手元に置きたいがためにピングレの円盤を予約したり、バレット様見たさにさよならセンセーションを購入したり、だ。ここでひとつ大事なのは、これらはすべていいものだと知ったうえで私欲を満たしてくれるものだと知ったうえで購入を決めていることだ。裕翔が出ているから無条件で買ったわけではない。選んで買ったのだ。要するに、私が裕翔さん関連の何かにお金を払うときは、"ゆうとがいるから"という理由だけでお金を払うわけではない。払えない。

 

 

 

担当か否かの決定的な違いはここにあると私は思う。

 

 

‟単純にいいものにはお金を払いたいと思うけれど、いいものだとか何だとか関係なく、その人がいるから、その人のために、お金を払いたいという気持ちはそうそう生まれてこない”と今朝の私が言っていた。

 

 

わたしは仮に関ジャニ∞のリリースの内容がイマイチで、錦戸さんのビジュアルもイマイチで、これ、買ってもそんなに見ない(聴かない)かもなぁ、と思ったとしても、当たり前のように予約をし、お金を払い、商品を買う。錦戸さんがいる、というだけでお金を払うには十分すぎる理由になる。ごくシンプルに、錦戸さんがいるから、錦戸さんのために、お金を払いたい、いや、払わせてくれ、と思う。錦戸さんという存在そのものが自分にとってお金を払う価値があるものなのである。(さらに言えば、売れてほしい、錦戸さんに微力ながら貢献したい、そのためにお金を払いたい、払わせてください、という押し付けがましい気持ちさえある。)

 

 

 

裕翔さんに対してここまでは思えない。

 

 

 

だから要するに、"その人がいるから、その人のために、お金を払いたい、と無条件に思える存在"こそがいわゆる"担当"と呼べる存在なのかもしれない。これが私の出した答えだ。そもそも答えとかないけど。

 

 

 

 

ちなみに超余談ではあるが、上記のような存在を"担当"と呼ぶのであれば、いままで錦戸さんだけが立つことを許されてきた私の中での"担当"の道の上に突如として現れたのが最近私がかなりしつこく呟いているTravis Japanの阿部顕嵐くんなのである。錦戸さんにはまだまだ遥かに及ばないけれど、このまま好きになっていったら隣に並ぶ可能性さえある。ドキドキする。ワクワクする。顕嵐くんのためにお金を払いたい、払わせてくれ、と思う。こんな気持ち久しぶりで、こりゃどえらい沼に足突っ込んだなぁと思いつつも、内心嬉しくてたまらない。 はやくお金を払うことのできる機会を与えてほしい。

 

 

だからはやくあらちかをデビューさせたってください偉い人!!!!!!!

 

 

 

 

(主旨変わった)