続・内博貴とはなんだったのか
※昨日感じたことを絶対に忘れてはいけないと思ったので、グレイト・ギャツビーを観劇した(というか内くんを見た)感想を書き留めます。ネタバレはありません。
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内博貴だった。
たしかに、内博貴だった。
私が見た内博貴はもはや私が知っている内博貴ではなく、それでいてたしかに私の知っている内博貴だった。
あまりにも格好良かった。
あまりにも美しかった。
そしてあまりにも 内博貴 だった。
顔も声も、私の知っている彼のそれだったけれど、
初めて見た人のようだった。ただただ圧倒された。
色んな感情が押し寄せてきて、私は涙をこらえるのに必死だった。
内くんが舞台に立っている間はアホみたいにずっと泣きそうだった。
内博貴の時間はたしかに進んでいた。
内博貴は"内博貴"としての人生を歩んでいた。
もうお兄ちゃん達に溺愛される関ジャニ∞の末っ子内博貴ではなかった。
まもなく30歳を迎える、1人の立派な男性だった。
隣に誰かの支えがなくても、立派に1人で歩いていた。
こんなにも時が経ったのか、と思った。
知らない間に時が流れていたことに私は気付いてしまった。いや、気付かないふりをしていたけれど、今の彼の姿を目の当たりにして、認めざるを得なかった。
知らない間に時間はたしかに流れていて、知らない間に内くんは遥か前へと進んでいた。いつまでも過去の中で生かしておくのは彼に失礼だとさえ思った。そのくらい、彼は"今"を生きていた。
舞台上の彼を見ながら私は(お前誰目線だよって感じだけど)内くんはあのときからずっと死ぬほどがんばってきたんだなぁ、と思った。よくここまできたなぁ、と思った。ああ、よかったなぁ、と心から思った。内くんは私が思っていたよりもずっと輝いていた。今の場所で、輝いていた。私の中で止まっていた彼の時間が、いきなり早送りで再生されたような、そんな気分だった。彼の今までをまざまざと見せつけられたような気がして、鳥肌が立った。涙が出そうになった。格好良かった。本当に格好良かった。知らないようでよく知っていて、知っているようで全く知らないその人は、たしかに私が恋い焦がれてきた内博貴だった。
もう縋っていられないな、と思った。
彼はもう、関ジャニ∞でもNEWSでもなく
たった1人の"内博貴"そのものだった。
誰よりもピンク色が似合う彼は
皮肉にも綺麗なピンク色のスーツを身に纏って
あの美しい顔で、美しい声で、観客を魅了していた。
彼の覚悟とか熱意とか誇りとか、そういった類のものが1つの大きなエネルギーとして私の心に押し寄せてきた。
単純に、凄い、と思った。
内博貴を見くびっていたな、と思った。
勘違いしていたな、と思った。
関ジャニ∞でいることを選ばなかった(選べなかったのかもしれないけれど)のは、彼なりのケジメだったのだろうな、と思った。
彼は関ジャニ∞のことをどうでもよくなったわけでは決してないんだろうな、となんとなく思った。
好きだから、大切だから、甘えてしまうから、離れなければならなかったんだろう。彼が彼として歩むには、生まれ変わるには、関ジャニ∞という存在はあまりにも大きすぎたのかもしれない。
百聞は一見に如かずとはよく言ったもので、
今まで幾度となく見てきた元内担さんの言葉も、なんとか消化しようとしてきた今までの色々な出来事も、消えることのなかった想いも、今の彼の前では全てが無効だった。
自分でもびっくりするくらいすんなりと、今の彼を受け入れていた。
今の彼の姿が、全ての答えをくれた気がした。
戻ってほしい、なんて口が裂けても言えない、と思った。
悔しいけれど、内くんは格好良かった。
あまりにも格好良かった。
今の彼を肯定するには十分すぎるほど格好良かった。
ああ、これでやっと前に進める、と思った。
私の中で止まっていた彼の時間がやっと動き出した。
"内博貴"として生きる彼をやっと認めることができた。
関ジャニ∞はたしかに8人だった。
そしてその8人の中に内博貴はいた。
それは紛れもない事実で、そこには何の嘘もない。
消せなんて言われても無理だ。
消せるわけがない。
だって、私が好きになったのは8人の関ジャニ∞だ。
頭ではわかっていても、やっぱり8人を越えるものなんてないんだよ、内亮を越えるものなんてないんだよ、とずっと思っていた。
8人の関ジャニ∞が好きだった。内亮が好きだった。
そこだけは私の譲れない部分であり、信じてきたものだった。
それはたしかに間違っていなかった。
間違っていなかったけれど、間違っていた。
私が思っているよりもずっとずっとずっと
彼は、彼らは、強かった。
8人を越えるものなんてない、と誰よりも思っていたのはきっと彼らだっただろう。
"関ジャニ∞の内博貴"の存在の大きさを誰よりも分かっていたのはきっと彼らだっただろう。
それでも誰よりも前だけを向いて進んできたのもきっと彼らだったのだろう。
これで良かった、これが正解だった、とは言わない。
あの日の出来事は、なかったほうがいいに決まってる。
何事もなく、8人で進んでいけたほうがよかったに決まってる。
内亮が内亮でいられる毎日が当たり前のように続いたほうがよかったに決まってる。
でも、あの日から今まで彼らが歩んできた時間は、きっと間違っていなかった。
彼らが別々の道で輝くには"関ジャニ∞の内博貴"との決別が必要だった。多少強引にでも、決別しなければならなかった。きっと決別こそが彼の背中を押すことだった。そしてきっと決別こそが彼に対する愛そのものだった。
関ジャニ∞は強い、そして内博貴も強い。
たぶん、私たちが思っているよりもずっと。
舞台の終わり、一番最後に出てきた彼は、
共演者の皆さんに囲まれ、鳴り止まぬ拍手の中で、
嬉しそうに楽しそうに誇らしそうに笑っていた。
ジェイ・ギャツビーとして、座長を全うしていた。
誇りを持って、仕事をしていた。
ああ、この人は、私の知らない間にこんなに大きくなったのか、と思った。
最後は溢れる涙をこらえきれなかった。何に対してかわからないけれど、ただただ涙が溢れた。
内くんが輝ける今があって本当に良かったと心から思った。
内くんがあのとき諦めずにこの世界でもう一度輝こうとしてくれて本当に良かったと思った。
彼を引き止めたのは亮ちゃんの言葉だったかもしれないし、ジャニーさんの言葉だったかもしれない。
それは本人にしかわからないけれど、たった今ここで彼が輝いているのは、他ならぬ彼自身の並々ならぬ覚悟と決意と努力の結果なのだろうと思った。
偶然か必然か、7月16日であの日からちょうど11年。そして昨日は12年目の始まりの日だった。
そんな日に、今の彼に会うことができて、本当に良かった。内くんはやっぱり内くんで、でも内くんじゃなくて、それでもやっぱり内くんだった。迷っていたけれど、会いにいくことに決めて本当に良かった。私の信じてきたものはきっと間違いではなかったし、彼らが歩んできた時間もきっと間違いではなかった。それだけで十分だった。これでようやく私は少しだけ前に進める気がする。
迷っている人がいたら、ぜひ今の彼を見てほしい。
どんな記憶もどんな言葉も、今の彼の前には屈するしかない。
今の彼を前にして過去に縋るのは失礼だと本気で思った。
この私がそう思うのだから、相当だ。
そのくらい、圧倒的に格好良かった。圧倒的に輝いていた。
こんなにもきちんと進めているのなら、正直もう時効でいいのでは、と思う。
"関ジャニ∞"と"内博貴"でステージに立つことが許されてもいいくらい、彼は、彼らはきちんと前に進んでいる。少なくとも私は今の彼を見てそう思った。
思い出したように同じステージに立って、そんなこともあったね、って笑ってくれればそれでいい。
8人の関ジャニ∞を願ったりしないから、せめてもう同じステージに立つことくらい許してくれてもいいじゃないか。
"関ジャニ∞"と"内博貴"であっても変わらない関係であってほしい、とはやっぱり願ってしまうけれど、それでも私なりにやっと"7人の関ジャニ∞"と"内博貴"を本当の意味で肯定できた。彼らの"今"を肯定できた。私がすきになった8人は、7人と1人になっても、やっぱり私がすきになった8人であることには変わりなかった。7人がすきで、1人がすきだ。彼らがそれぞれ別々の道を歩んでいようとも、私があの頃からすきなのは横山裕・渋谷すばる・村上信五・丸山隆平・安田章大・錦戸亮・大倉忠義そして内博貴だ。
ありがとう、内くん。
私はこれでやっと前に進めます。
素敵な舞台を見せてくれてありがとう。
本当に格好良かったです。
いつまでもあなたらしく輝いていて下さい。
陰ながらずっと応援しています。
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いつかは過去も現在も未来も愛しく思えるなら
何処までも行こう 僕のままで
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内博貴だった。
たしかに、内博貴だった。
私が見た内博貴はもはや私が知っている内博貴ではなく、それでいてたしかに私の知っている内博貴だった。
あまりにも格好良かった。
あまりにも美しかった。
そしてあまりにも 内博貴 だった。
顔も声も、私の知っている彼のそれだったけれど、
初めて見た人のようだった。ただただ圧倒された。
色んな感情が押し寄せてきて、私は涙をこらえるのに必死だった。
内くんが舞台に立っている間はアホみたいにずっと泣きそうだった。
内博貴の時間はたしかに進んでいた。
内博貴は"内博貴"としての人生を歩んでいた。
もうお兄ちゃん達に溺愛される関ジャニ∞の末っ子内博貴ではなかった。
まもなく30歳を迎える、1人の立派な男性だった。
隣に誰かの支えがなくても、立派に1人で歩いていた。
こんなにも時が経ったのか、と思った。
知らない間に時が流れていたことに私は気付いてしまった。いや、気付かないふりをしていたけれど、今の彼の姿を目の当たりにして、認めざるを得なかった。
知らない間に時間はたしかに流れていて、知らない間に内くんは遥か前へと進んでいた。いつまでも過去の中で生かしておくのは彼に失礼だとさえ思った。そのくらい、彼は"今"を生きていた。
舞台上の彼を見ながら私は(お前誰目線だよって感じだけど)内くんはあのときからずっと死ぬほどがんばってきたんだなぁ、と思った。よくここまできたなぁ、と思った。ああ、よかったなぁ、と心から思った。内くんは私が思っていたよりもずっと輝いていた。今の場所で、輝いていた。私の中で止まっていた彼の時間が、いきなり早送りで再生されたような、そんな気分だった。彼の今までをまざまざと見せつけられたような気がして、鳥肌が立った。涙が出そうになった。格好良かった。本当に格好良かった。知らないようでよく知っていて、知っているようで全く知らないその人は、たしかに私が恋い焦がれてきた内博貴だった。
もう縋っていられないな、と思った。
彼はもう、関ジャニ∞でもNEWSでもなく
たった1人の"内博貴"そのものだった。
誰よりもピンク色が似合う彼は
皮肉にも綺麗なピンク色のスーツを身に纏って
あの美しい顔で、美しい声で、観客を魅了していた。
彼の覚悟とか熱意とか誇りとか、そういった類のものが1つの大きなエネルギーとして私の心に押し寄せてきた。
単純に、凄い、と思った。
内博貴を見くびっていたな、と思った。
勘違いしていたな、と思った。
関ジャニ∞でいることを選ばなかった(選べなかったのかもしれないけれど)のは、彼なりのケジメだったのだろうな、と思った。
彼は関ジャニ∞のことをどうでもよくなったわけでは決してないんだろうな、となんとなく思った。
好きだから、大切だから、甘えてしまうから、離れなければならなかったんだろう。彼が彼として歩むには、生まれ変わるには、関ジャニ∞という存在はあまりにも大きすぎたのかもしれない。
百聞は一見に如かずとはよく言ったもので、
今まで幾度となく見てきた元内担さんの言葉も、なんとか消化しようとしてきた今までの色々な出来事も、消えることのなかった想いも、今の彼の前では全てが無効だった。
自分でもびっくりするくらいすんなりと、今の彼を受け入れていた。
今の彼の姿が、全ての答えをくれた気がした。
戻ってほしい、なんて口が裂けても言えない、と思った。
悔しいけれど、内くんは格好良かった。
あまりにも格好良かった。
今の彼を肯定するには十分すぎるほど格好良かった。
ああ、これでやっと前に進める、と思った。
私の中で止まっていた彼の時間がやっと動き出した。
"内博貴"として生きる彼をやっと認めることができた。
関ジャニ∞はたしかに8人だった。
そしてその8人の中に内博貴はいた。
それは紛れもない事実で、そこには何の嘘もない。
消せなんて言われても無理だ。
消せるわけがない。
だって、私が好きになったのは8人の関ジャニ∞だ。
頭ではわかっていても、やっぱり8人を越えるものなんてないんだよ、内亮を越えるものなんてないんだよ、とずっと思っていた。
8人の関ジャニ∞が好きだった。内亮が好きだった。
そこだけは私の譲れない部分であり、信じてきたものだった。
それはたしかに間違っていなかった。
間違っていなかったけれど、間違っていた。
私が思っているよりもずっとずっとずっと
彼は、彼らは、強かった。
8人を越えるものなんてない、と誰よりも思っていたのはきっと彼らだっただろう。
"関ジャニ∞の内博貴"の存在の大きさを誰よりも分かっていたのはきっと彼らだっただろう。
それでも誰よりも前だけを向いて進んできたのもきっと彼らだったのだろう。
これで良かった、これが正解だった、とは言わない。
あの日の出来事は、なかったほうがいいに決まってる。
何事もなく、8人で進んでいけたほうがよかったに決まってる。
内亮が内亮でいられる毎日が当たり前のように続いたほうがよかったに決まってる。
でも、あの日から今まで彼らが歩んできた時間は、きっと間違っていなかった。
彼らが別々の道で輝くには"関ジャニ∞の内博貴"との決別が必要だった。多少強引にでも、決別しなければならなかった。きっと決別こそが彼の背中を押すことだった。そしてきっと決別こそが彼に対する愛そのものだった。
関ジャニ∞は強い、そして内博貴も強い。
たぶん、私たちが思っているよりもずっと。
舞台の終わり、一番最後に出てきた彼は、
共演者の皆さんに囲まれ、鳴り止まぬ拍手の中で、
嬉しそうに楽しそうに誇らしそうに笑っていた。
ジェイ・ギャツビーとして、座長を全うしていた。
誇りを持って、仕事をしていた。
ああ、この人は、私の知らない間にこんなに大きくなったのか、と思った。
最後は溢れる涙をこらえきれなかった。何に対してかわからないけれど、ただただ涙が溢れた。
内くんが輝ける今があって本当に良かったと心から思った。
内くんがあのとき諦めずにこの世界でもう一度輝こうとしてくれて本当に良かったと思った。
彼を引き止めたのは亮ちゃんの言葉だったかもしれないし、ジャニーさんの言葉だったかもしれない。
それは本人にしかわからないけれど、たった今ここで彼が輝いているのは、他ならぬ彼自身の並々ならぬ覚悟と決意と努力の結果なのだろうと思った。
偶然か必然か、7月16日であの日からちょうど11年。そして昨日は12年目の始まりの日だった。
そんな日に、今の彼に会うことができて、本当に良かった。内くんはやっぱり内くんで、でも内くんじゃなくて、それでもやっぱり内くんだった。迷っていたけれど、会いにいくことに決めて本当に良かった。私の信じてきたものはきっと間違いではなかったし、彼らが歩んできた時間もきっと間違いではなかった。それだけで十分だった。これでようやく私は少しだけ前に進める気がする。
迷っている人がいたら、ぜひ今の彼を見てほしい。
どんな記憶もどんな言葉も、今の彼の前には屈するしかない。
今の彼を前にして過去に縋るのは失礼だと本気で思った。
この私がそう思うのだから、相当だ。
そのくらい、圧倒的に格好良かった。圧倒的に輝いていた。
こんなにもきちんと進めているのなら、正直もう時効でいいのでは、と思う。
"関ジャニ∞"と"内博貴"でステージに立つことが許されてもいいくらい、彼は、彼らはきちんと前に進んでいる。少なくとも私は今の彼を見てそう思った。
思い出したように同じステージに立って、そんなこともあったね、って笑ってくれればそれでいい。
8人の関ジャニ∞を願ったりしないから、せめてもう同じステージに立つことくらい許してくれてもいいじゃないか。
"関ジャニ∞"と"内博貴"であっても変わらない関係であってほしい、とはやっぱり願ってしまうけれど、それでも私なりにやっと"7人の関ジャニ∞"と"内博貴"を本当の意味で肯定できた。彼らの"今"を肯定できた。私がすきになった8人は、7人と1人になっても、やっぱり私がすきになった8人であることには変わりなかった。7人がすきで、1人がすきだ。彼らがそれぞれ別々の道を歩んでいようとも、私があの頃からすきなのは横山裕・渋谷すばる・村上信五・丸山隆平・安田章大・錦戸亮・大倉忠義そして内博貴だ。
ありがとう、内くん。
私はこれでやっと前に進めます。
素敵な舞台を見せてくれてありがとう。
本当に格好良かったです。
いつまでもあなたらしく輝いていて下さい。
陰ながらずっと応援しています。
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いつかは過去も現在も未来も愛しく思えるなら
何処までも行こう 僕のままで