内博貴とはなんだったのか

 

※はじめに言っておきますが、クソ懐古厨のクソみたいな激重ブログなので見たくない方は速やかにお引き取りいただくほうが賢明だと思います。

 

 

 

 

 

内博貴

元NEWS・関ジャニ∞のメンバー。

 

 

 

 

 

かつて関ジャニ∞は8人グループだった。当時を知っていても知らなくても"関ジャニ∞がかつて8人だったこと"はおそらく大半のファンが知っている事実だと思う。彼が脱退するまでの色々はググればすぐに出てくると思うので割愛させていただくが、私はいまだに8人の関ジャニ∞を引きずっている。時折繰り出される激重ツイートからもわかるように、わたしは俗に言う(?)8人厨というやつなのだと思う。内博貴がすきだった。メンバーからファンから溺愛される関ジャニ∞の末っ子内博貴がすきだった。

 

 

 

そしてなにより、内博貴錦戸亮

NEWSと関ジャニ∞を掛け持ちしていた、

この最高で最強のシンメである内亮がだいすきだった。

 

 

(だいすきだったというか、今でも他のどのコンビよりもだいすきで恋い焦がれているのだけれど)

 

 

 

内亮のエピソードもググればたくさん出てくるので割愛させていただくが、とにかく内亮は誰の目から見ても相思相愛だった。正直、今のえいとの中での亮ちゃんと誰かのコンビは、たいてい亮ちゃんから誰かへの愛が圧倒的に大きいように思う。ただそれは決して相手が亮ちゃんを愛してないと言いたいわけではないし、そんな様子が微笑ましくて可愛くてだいすきなのは間違いない。もちろん優劣つけられないくらいどのコンビもだいすきだ。でも、わたしにとって内亮は特別だった。少なくともわたしが見てきた恋い焦がれてきた内亮は、内くんから亮ちゃんへの愛と、亮ちゃんから内くんへの愛が等しかった。等しく、かつ、他の誰に対してよりも大きかった。お互いがお互いを必要とし、隣にいるのが当たり前で、離れるなんて有り得ない。お互いにとって唯一無二の存在だった。そんな内亮が愛おしくてだいすきだった。

 

 

 

たぶん、錦戸さんにとって、一番失いたくない、失ってはならない存在が彼だった。

 

 

 

しかし運命とは残酷なもので、わたしのだいすきな内亮は、8人の関ジャニ∞は、あの日、失われてしまった。それでも錦戸さんは、えいとは、あきらめなかった。内くんが帰ってこれるようにと、彼らは日々を生き抜いた。そして私が見てきた彼らはいつだって内博貴を愛していた。心から愛していた。(これについても数々のエピソードがあるのだがググれば出てくるので割愛)

 

 

錦戸さんは内くんの件があってから責任とか後悔とか重圧とか色んな、本当に色んなものをたったひとりで背負っていたように思う。掛け持ちという立場で、NEWSメンにもえいとメンにも言えないこと、内くんだけには言えたこと、内くんとだけは分かち合えたこと、沢山あったと思う。本人にしか分からないけれど、内博貴という存在を失ったことは、錦戸さんにとって相当なダメージだったはずだ。何より、錦戸さんは彼のことが大好きだったから。

 

 

そんな錦戸さんの内くんに対する想いは、当時を知る誰もが当然のように知っていることだろう。

 

 

真偽は不明だが、Half downという錦戸さんのソロ曲は内くんのことを歌った曲と言われている。そう思って聴くともはやそうとしか聴こえないし、というか絶対そうだし、錦戸さんの中での内博貴という存在の大きさを感じるしかなくて、苦しくて苦しくて苦しくなる。(ちなみにわたしの中ではスケアクロウもそういう風に聴こえる←重症)

 

関ジャニ∞の楽曲で言えば、BJ、puzzleも内くんのことを歌った曲と言われている。(だから8ESTの本編最後の曲がBJだったこと、その事実だけで私は泣きそうだったし、みんなすごく優しい顔して歌うもんだから泣くしかなかった。)

 

 

彼は、彼らは、ファンは、内博貴が戻ってくることを信じていた。"東京ドームで見た、一度は失ったはずの可能性"を信じていた。

 

 

 

でも、叶わなかった。もう、内博貴は戻ってこない。それはわかっている。関ジャニ∞として彼がステージに立つことはない。

 

 

今まで公の場で内くんについて発言してこなかった(発言することが許されなかったのかもしれない)錦戸さんが、8ESTオーラスで泣きながら言った

 

 

「8人目は私です、って言ってください」

 

 

この言葉が全てだ。内くんがもう戻ってこないであろうこと、そしてそれを関ジャニ∞も受け容れていること、そのことはもっと前から頭では理解していたはずだった。でも、きっとどこかでまだ期待していた。誰より近くにいて誰より彼が戻ってくるのを待っていた錦戸さんから発せられたこの言葉は、受け容れたくない現実を理解するには十分すぎるくらい十分だった。錦戸さんが、関ジャニ∞が、受け容れた以上、ファンも受け容れるしかない。こう言えるようになるまでに錦戸さんはいったいどれだけの想いと言葉を飲み込んできただろう、そう思うといつでもどこでも涙が込み上げてくる。そのくらい、この言葉は重い。錦戸亮にとっての内博貴という存在の大きさを分かっているから、重い。

 

 

 

内博貴は愛されていた。たしかに、愛されていた。そしてきっと、今も、だ。メンバーではなくなっても、"内博貴関ジャニ∞にいた"ことは紛れもない事実で、メンバーにとって内くんは今でも大切な存在なのだと思う。というか、そうであってほしいという勝手な願いなのだけれど。

 

 

メンバーにとってはもはや"過去"なのかもしれないし、同じように"過去"として消化できたファンもいるだろうし、"過去"の事実としてしか知らないファンも大勢いる。"エイトのツートップ"という、私の中では内亮にしか使うことのできないワードで思い浮かべるのが内亮ではない人も今や大勢いる。そのくらい十分に時間は経っていて、知らない間に時は流れていた。一方で、いまだに"過去"にできないファンだっている。言わずもがな私もその一人だ。

 

 

「6人やろうが7人やろうが8人やろうが関係ない」と大倉さん不在の元気LIVEオーラスですばるくんが言った。

 

 

8人であったこと、が彼らにとってはもはや過去だとしても、なかったことにだけはしてほしくないと常々思っている私にとって、この言葉の持つ意味は大きかった。彼らがあれほどまでにこだわってきた"8人の関ジャニ∞"を諦め、"7人の関ジャニ∞"を受け容れたこと、そこには私の想像を遥かに絶するほどの思いと覚悟と決意があっただろうこと。そこに至るまでの過程は決して消えないのだと、乗り越えたから今の彼らがあるのだと、あの頃の彼らは嘘ではなかったのだと、彼らにとっては大切な大切な記憶なのだと、内博貴はたしかに関ジャニ∞のメンバーだったのだと、それだけで十分だった。

 

 

彼らが"8人"に言及するたびに私は泣いてしまう。もうこれは条件反射で、やめろと言われても無理だ。そのくらい、私は8人の関ジャニ∞を、いや、たとえメンバーではなくても8人が同じステージに立って笑い合える日がくることを、ずっとずっと待ち望んでいた。というか今も待ち望んでいる。その日がくるまでオタクをやめられない、とさえ思う。もちろん7人を否定したいわけではない。そういうことじゃない。過去があるから今があるのだと、そんなのはわかっている。内くんがいたらきっと今の関ジャニ∞がなかったであろうことも痛いほどにわかっている。今の関ジャニ∞ももちろんだいすきだ。私が8人に縋るのは、そのこととはまた別の話というか、そんな簡単に割り切れる話ではないし一言で片付けられる話ではない。だから今も苦しい。

 

 

 

そんな中で(どんな中)昨日、ある記事がTLに現れた。舞台「グレイト・ギャッツビー」で主演を果たす内くんにまつわる記事だった。大阪に向かうバスの中で、私はなんとなくその記事を開いた。その記事の中の一節がわたしをどん底に突き落とした。

 

 

「年上ばかりでしたし、うまく心を開けなかった」

 

 

彼が関ジャニ∞に対して抱いていた想いと思われる(←年上ばかりだったと言っているので)その言葉が心に突き刺さった。まじかよ、と思った。ショックだった。記事の文面を全部信じるのも違うとは思うし、そこには何らかのバイアスがかかっている可能性だって大いにある。彼が自分を納得させて前だけを向くためにそういうふうに思うことにしたのかもしれない。それは彼にしか分からない。それでも、痛かった。私にとっては、あまりにも痛かった。あれほどまでに縋ってきた8人の関ジャニ∞ってなんだったんだろう、と思った。彼が戻ってこれる場所をつくろうと必死だった7人はなんだったんだろう、と思った。"東京ドームで見た、一度は失ったはずの可能性"はなんだったんだろう、と思った。あの頃7人が信じていたものってなんだったんだろう、と思った。私が信じてきたものってなんだったんだろう、と思った。彼らが内くんを愛していたほどに内くんは彼らを愛していなかったのか。内くんにとって関ジャニ∞はそんな一言で片付けられる程度の存在だったのか。そんなわけない。そんなわけない、と思いたかった。嘘だと思いたかった。いや、もしかしたら表向きの嘘なのかもしれない。でも、真意は本人にしかわからないけれど、あの決して楽ではなかった時代をそんなふうに簡単に、たった一文で記事にされてしまう事実が、つらかった。悲しかった。苦しかった。

 

 

何より、亮ちゃんに対しても同じように思っていたの?亮ちゃんは特別だったでしょう?あの頃の二人は嘘じゃなかったでしょう?と思うと、ただただ苦しくてたまらなくて、バスの中で今にも溢れそうな涙をこらえるのに必死だった。亮ちゃんだけは特別だったと言ってほしい。というか、確かに特別だったはずだ。私が見てきた内亮に嘘はなかったはずだ。

 

 

 

だって、そうじゃないと、あんまりだ。あまりに報われない。錦戸さんが報われない。錦戸さんがあの頃飲み込んだ想いと言葉の数をおもうと、ほんとうにたまらなかった。

 

 

 

 

 

たまにぼんやりと考えることがある。内くんがいたら今の関ジャニ∞はどうだっただろう?内くんがいたら錦戸さんはどうだっただろう?錦戸さんは今でも内くんのことを考えて苦しくなったりするだろうか?今でも良い関係でいるんだろうか?たまに会ってご飯食べたりするんだろうか?電話したりするんだろうか?新録へぶんりーをどんな想いで編曲したんだろうか?内くんのことを思い出したりしただろうか?今も錦戸さんと内くんが変わらない関係だといい。関ジャニ∞と内くんが変わらない関係だといい。

 

 

 

彼らにしかわからないことはたくさんある。ファンが見るのなんて彼らの一部でしかなくて、何が真実で何が嘘かなんて、結局分かりはしない。だからこそ、勝手に信じていたいものもたくさんある。少なくとも私は、私のだいすきな内亮を、8人の関係を、信じていたい。あの記事を見ても、全く諦められない。私の見てきたものは、信じてきたものは、きっと嘘じゃない。本当にめんどくさいオタクだなぁとつくづくおもう。それでも、いつか8人で同じステージに立って笑っている彼らを見て、泣きながら笑いたい。その日がくるまで私はきっと8人に縋り続けるのだとおもう。頭でわかっても心が言うことをきいてくれないんだから、こればっかりはしょうがない。

 

 

 

 

 

7月、ついに内くんに会いに行ってきます。

今の彼を観てきます。

これほどまでに恋い焦がれてきたのだから、正直会うのがこわい。

きっと私の知っている内くんではないだろうし、"内博貴"としての人生を歩んできた彼がそこにはいるんだと思う。

今の彼をみて自分が何を感じるのか、正直検討もつかない。

こわいけど、私もこれで少しは前に進めるかもしれないなぁ、そんな期待も抱きながら。

 

 

 

 

 

いつかは過去も現在も未来も愛しく思えるなら

何処までも行こう 僕のままで